聖人たちガマ将軍と呼ばれた性豪(前篇)本日より三日間は、関ネットワークス「情報の缶詰2015年11月号」に掲載されました「ガマ将軍と呼ばれた性豪」をお送りします。 ガマ将軍と呼ばれた性豪 その昔、光文社カッパ・ブックスでベストセラーになった本に「ガマの聖談」いうのがあった。 当時の月刊雑誌「宝石」に連載された軽妙洒脱なエロ談義を単行本にしたものだが、初版発売当時(昭和43年)のおいらは高校生だったので、知る由もない。 会社に入ってから古書店でこの奇書をみつけ、著者である南喜一が国策パルプやヤクルトの会長というれっきとした財界人と知って面白く読んだ記憶がある。 1.南喜一の人生哲学 南喜一は藍綬褒章を受章するほどの財界人であったが、なぜこのようなエロ談義を残したのであろうか(写真は、南喜一)。 同書の前書きによれば、 「おれは今年で75歳になるが、毎晩、女に接して、女を何回も天国にいかせることができる。それが男の甲斐性というものさ。 50、60の鼻たれ小僧が、『おれはもうだめだ』などと老けこんでいては、世の中のためにもマイナスだ。 そこで、おれは、この現状をなんとかしたいという義憤にかられて、この『聖談』を書く気になったのだ」 としている。 では、なぜ猥談であったのか。 それは、彼が31歳のときである。 実弟が関東大震災後の混乱時に起きた亀戸事件で警察官に殺害され、日本共産党に入党。グリセリン工場の経営者から一転して労働争議の指導者になったときのことである(その後、三・一五事件で逮捕され、獄中で転向)。 早稲田の理工を出ていた彼が高尚な理論を当時の労働者に説いたが、誰も理解してくれなかったのである。そこで、彼が考えたのが猥談の嫌いな男はいないということであった。猥談で引き寄せて世の中の不合理を分かりやすく説いたのがウケたのである。 彼は苦学生当時、薬剤師もしていたことがあり、医者の代診で吉原遊郭の女郎の検診をしていたことがある。性病の検査のため女性のあそこを2千人分診ていたのだから、猥談には事欠かなかったという。 そのときの彼の迷理論が「チン景はマン景の敵にあらず」である。 女性のあそこには二つとして同じものがないという理論であり、吉行淳之介も同趣旨のことを述べていたのでどうやら間違いがなさそうである。何のこっちゃ(この項続く)。 ガマ将軍と呼ばれた性豪(中篇) 2.面白い理由 ではなぜガマ将軍と呼ばれた南の猥談は面白いのか。 それは南の書いた連載が人気抜群であったからである。当時の雑誌にはハガキがついており、面白かった記事に丸をつけるというのがあった。 南の聖談は毎回必ずベスト3に入っていたのである。だから、南も手を抜くことなく毎回エロ談義に力が入ったのである。 次に、そのあけすけな庶民性である。「人生は女だ」という分かりやすい人生哲学である。 昭和40年当時の性典の代表は貝原益軒の養生訓に代表される、「50過ぎたら接して洩らさず」であった。 しかし、このガマの聖談では「やりたいときにやるべし、いくらやっても減るものではない」である。当時、これだけ堂々と云う人物など誰もいなかったのである。 この連載は26回にもおよび、そのタイトルは「精力、75歳頂点説」、「美人にかぎって味が悪い」、「シシ鼻の女は名器だ」、「死が近づくと助平になる」、「75歳にして立つ根本原理」など、今ではセクハラと思われる表現が多数あるが好著と評したい。 3.7つの宿坊 南は7つの宿坊を持っており、神出鬼没であったという。 宿坊とは本来坊主の泊まる施設のことであるが、南は7人の女のところを転々としていたのである。 しかし、南はカネにあかして女を口説いていたのではない。南は財産のほとんどを社会事業につぎ込んでいたので、女に渡す金は少なかったという。 それでも南は立派ないちもつを所有しており、精力絶倫であった以外にも魅力のある人間で、南の女はいずれも南の女になっただけで幸せと思わせるところがあったという。恐れ入るばかりである(この項続く)。 ガマ将軍と呼ばれた性豪(後篇) 4.ヤクルト・スワローズ生みの親と藍綬褒章 南がヤクルトの会長時代、産経新聞社からプロ野球のサンケイ・アトムズを買収している。現在のヤクルト・スワローズである。 水野成夫の経営していた産経新聞が経営悪化となり、球団を放出した際にヤクルトが買収し、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と云われている。 また、「今日まで健康でいられるのはヤクルトを飲み続けているからだ」というのが南の口癖であり、乳酸菌飲料を普及させた功績などにより、永年の日本人の食生活の改善に寄与したということで70歳を過ぎて藍綬褒章を受章した。 南はその直後宮内庁から講演を頼まれ、持論の猥談をぶったところ開始1時間後に一番後ろの席でやんごとなきお方が聞いておられるのに気づいた。 畏れ多くてどうしようかと思ったが、途中で話題を変える分けにもいかず、そのまま続けたと云うのだから南は大物である。性に上下貴賤はないのである。 5.人生の極意 さて、南の持論によれば、人間の欲望である「くう、ねる、する」の順番は間違いで、「する、ねる、くう」だそうである。「する、ねる、くう」の順を守らない人間はよい仕事ができないのだと云う。 それはなぜか。よく「ねる」ためには、「する」ことが必要だからである。「する」から熟睡できるのである。しないから、安眠できないのである。よくして、よくねて、よくくう、ハイ、ヨクワカリマシタ。 もう一つ。人生の花は60代から70代。人間の性腺ホルモンの本来の寿命は150年。その中間点が75年。だから、75歳は精力の頂点であり、人生の花は60代から70代ということになる。 南によればあの孔子さまも70歳を過ぎてから子供を産ませているという。 諸兄よ、人生はまだ長い。人生の花は60代から70代であるぞよ(この項終り)。 |